23歳で「難病発症→長期入院」今の幸せを噛み締める

掃除をしていたら、約10年前の日記が出てきました。

その日記は、23歳で難病を発症して4ヶ月の長期入院をしていたときのものです。

私の人生のターニングポイントともいえる、大きな出来事でした。

出てきた日記を読みながら、溢れる涙を堪えることができませんでした。

病気の治療は、今も続いています。

23歳という年齢で難病がわかって当時は本当に辛かったので、今同じように辛い思いをしている方のちょっとした支えになれば嬉しいです。

もくじ

病名発覚まで半年以上

病名が判明したのは、2011年8月

東日本大震災から半年経った頃でした。

症状が出始めたのは春だったので、約半年病名が分からずとてもツラい日々を送っていたのを今でも思い出します。

発症から入院まで
  1. 2021年春に発症
  2. 個人病院から市民病院、大学病院で病名発覚
  3. 3ヶ月の入院でステロイド治療
  4. 開胸手術で1ヶ月入院

個人病院から始まり、いろんな病院、いろんな科で診察を受けました。

まるで訴えている症状が、嘘かのように言われたこともありました。

検査して分かりませんと言われるたびに、不安と恐怖で泣きながら車を運転して帰ったことは忘れられません。

仕事を休めなかった

病名がわかるまでの半年間、何度もいろんな検査を受けました。

検査を受ける日、結果を聞きにいく日など、仕事を休めずに遅刻や早退にしていました。

ずっと症状は悪化してきていたので、本当につらかったです。

当時の私に言ってあげたい。

一番大事なのは、あなたの身体だよ。

難病になって不安だったこと

半年間もつらい症状と闘っていたので、病名がわかってすぐは正直“ホッとした”気持ちでした。

でもすぐにいろんな不安に押し潰されることになりました。

難病になった不安
  • 将来どうなるの?
  • 仕事どうすればいいの?
  • 生きていく意味あるの?

そしてステロイド治療と手術のため、長い入院生活が始まります。

将来どうなるの?

一人で過ごす入院期間。

ふとした瞬間に頭をよぎる“私の将来どうなるの?”という思い。

薬の副作用だけではない不眠に悩んでいた様子が、当時の日記に表れています。

「今日も上手く眠れない

日記にはこんな言葉がたびたび出てきてました。

  • 結婚できる?子ども産めるの?
  • これからもずっと病気と付き合っていくの?
  • お金どうしよう

考える時間がいくらでもあるって、ある意味地獄でした。

当時はまだ“結婚して、子どもを産んで、幸せな家庭を築く”、23歳の女性らしいそんな将来像を描いていたので毎日毎日不安でした。

そのときに答えが出るものは一つもなかったので、ひたすらぐるぐるするしかなかったです。

仕事どうすればいいの?

当時は就職した会社で事務として働いていました。

家から車で40分、残業も多い職場でした。

「休職」となったけど、身体のことを考えると続けていくのは厳しい。

でも“辞めて次はあるのか”、そんな思いもあって辞める決断も簡単にはできません。

小さな会社だったので、入院中にはお偉いさんがお見舞いに来てくれたこともありました。

余談ですが、お見舞いに『ぶどう一箱』いただいて、食べ切るのに苦労したのを思い出します。(大変だった本当に)

生きていく意味あるの?

幸い、病気は適切な治療を受けていれば死に至る可能性は低い病気です。

でも“難病になった”という現実は、23歳の私に重く重くのしかかってきました。

「このまま死んじゃうんじゃないか」

「死ななくても生きていく意味はないんじゃないか」

両親に心配かけないように笑顔で過ごす裏で、こんなことばかり考えていました。

“生きてる”に感謝した日

ステロイド治療の入院期間3ヶ月は、ひたすらネガティブに考え込んで過ごしました。

生まれて初めての手術

3ヶ月の内科での入院を終えて一度退院して、半月後に手術のために再入院しました。

生まれて初めての全身麻酔での手術。

手術室まで自分で行って、自分で手術台に寝転んでも実感がなかったです。

麻酔科の先生の「はい、麻酔入りますよー」の言葉からは、一瞬でした。

手術が終わって目覚めると、痛いし苦しいしでパニックになりかけました。

この先、できれば手術なんてものはしたくないと心から思っています。

「生きてる」

そのままICUに運ばれると、家族が面会にきてくれました。

私にとっては一瞬だった手術は、約5時間と当初の予定より長い手術でした。

今でも当時の話になると、「3人で待ってる時間は地獄だった」と家族は言います。

どんな手術でも、「絶対成功する」というのはありません。

実際、手術の説明の時に担当医の先生からそう言われました。

まだ麻酔が効いてるうつろな状態の私。

それでも家族のほっとした顔を見て「私生きてる」と強く思いました。

点滴だらけ酸素吸入もしてる状態でボロボロ泣いたの、忘れられません。

そんな私の涙を拭きながら、泣いていた母と姉の姿も。

忘れていた『感謝』

10年前、あんなにも「ただ生きていること」に感謝していたのに、すっかり忘れていました。

人間って本当に欲深い生き物です。

生きることに絶望していたあの頃を思うと、今がどれだけ幸せなことか。

無理だと諦めていたフルタイムでの仕事もできてる。

結婚はしない選択をしたけど、大事な大事な甥っ子に会えた。

10年前の日記を見つけて、小さなことに「感謝」することを忘れずに生きていきたいと思いました。

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